Trans Eurasien Expreß seit 2002

 
erscheint i.d.R. vierteljährlich und behandelt bedeutende und/oder interessante Eisenbahnen und sonstige Transportmittel in der Welt, mit Vergleichen zwischen Japan und dem Ausland, Geschichts- und Kulturvergleichen - je nach Thema der Ausgabe. Alle Fotos, Ton- und Videoaufnahmen wurden vom Author selbst aufgenommen, soweit keine fremde Quelle ausdrücklich vermerkt ist.

Mikio Tanaka

 
     
   


 
12.ダクミェント
今回の取材地: ウズベキスタン アメリカ ドイツ
 今回はウズベキスタンの一鉄道情景をご紹介する。地理的に中央アジアに位置するので、9号同様本シリーズの射程内か疑問無しとしないが、「地域多国間開発銀行間の活動範囲の棲み分け」という切り分けではウズベキスタンはアジア開発銀行ADBではなく欧州復興開発銀行EBRDの管轄とされている点に免じて本題に進ませて戴きたい。 但し鉄道の撮影が原則禁止だったので、今回は鉄道紀行はパウゼ(休憩)という事で観光ガイドがメインになってしまった。
   首都タシケントには中央アジア唯一の地下鉄があるので、この地を訪れた以上は鉄道を愛する者として是非一度乗ってみなければならない。しかし漫然と乗り歩く時間は無かったので宿の受付で最もウズベクらしい美しい建築の駅はどこか尋ねた。すると居合わせた全員が皆うち揃って同じ名前の駅を挙げたので目標をそこに定め、直ちに向かった。そこはウズベク文学に大きな影響を与えたという詩人アリシェル・ナヴォイАлишер Навоийの名を冠した駅だった。同名の劇場もあるが、これは日本人捕虜の強制労働で建てられたものだ。どんな駅舎や電車が待っているのか期待しながら階段の中程まで降りた辺りで早くも昔懐かしい吊掛モーターが唸っているのが聞こえてきた。

乾いた大地に清冽な青が映える
 車両自体はハンガリーのブダペスト地下鉄や、いつかこのシリーズで取り上げる予定のモスクワ地下鉄とも同様の形式だ。恐らく旧ソ連圏の共通形式だったのだろう。だが、車両は同じでもタシケントやブダペストの地下鉄がモスクワのそれと大きく違う点は、西側人(という表現が今でも妥当するかは措く)にとって「違和感が無い」という事だ。まず、浅い。日本でも大江戸線の六本木駅(地下42m)のように深い駅があるが、これは先に建設された他の地下構造物(日比谷線用トンネル等)と交差する為にやむを得ず深く掘らざるを得なかったのに対して、モスクワの地下鉄は核シェルターの機能も期待していると言われており(どれだけ機能するかは疑問だが)どえらく深く、エスカレーターの監視員がいる程だ。が、ここは道路の皮一枚下が軌道という点では銀座線のような感じだ。

モスク内部のようなナヴォイ駅ホーム


次に、駅がシンプルな事だ。モスクワの有名なアルバーツカヤ駅や革命広場駅等の共産バロックとでも言うべき壮麗さは、その政治宣伝的意図はどうあれ立ち止まって見上げてしまう程見事だが、ハンガリーでもウズベクでも見かけた限りの地下鉄駅は肩の力を抜いた経済的な構造になっていた。例外的に予算をかけていたのがこのアリシェル・ナヴォイ駅だ。さすがに地元の人が口を揃えて勧めるだけの事はあった。私はかなり多くの駅を見てきた積もりだが、このようなイスラム建築の美しい地下鉄駅は初めて見た。イデオロギー宣伝臭は感じられず、純粋に文化の凝縮を試みるパリのメトロ1号線のルーヴル・リヴォリ駅のような位置づけなのだろう。
 イスラム建築アーチ部分に特徴的な細かな凹凸を強調して鍾乳洞のように表現された天井をおのぼりさんよろしく見上げ、得物のニコンを鞄から取り出してシャッターを切った。3枚目を撮影した頃どこかで笛が鳴ったと思ったら大きな制帽の警官か駅員が3人でやってきて私を取り囲むように立ち、一言「ダクミェント」と言った。ダクミェントはдокумент / document、つまり撮影許可証のような書類の携行が必要なのだろう、と気付いたが既に遅かった。鉄道は撮影禁止の「戦略的施設」に該当するのだそうだ。
 地下鉄局に行って後付で許可を取る等してフィルムと身柄の危機を脱し、次は懲りずに国鉄のタシケント中央駅の撮影に向かった。但し今度は学習効果を発揮し、まず駅長室を急襲して許可を求めた。Body languageで一応許可らしきものを得たが、手振りで「あー好きにせえ」程度のもので手許に「ダクミェント」が無いので、いつ大制帽男が笛を鳴らしながら飛んでくるかとひやひやしながら駅構内を徘徊した。この駅舎内部のファサードにもイスラム風の模様が一面に描かれている。白一色の細密模様というのは清々しく、またどことなくモスク内部のようでもあった。
 物の本によると長駆型の優等列車にはドイツ製丸出し(或いはDBの中古か)の高規格客車が連結されているようなのだが、時刻表も調べずにふらっと立ち寄ってそうそううまく遭遇できる道理もなかった。しかしたまたま入線したローカル列車は一部客車の窓に外付けの鎧戸が付いていてなかなか味わい深かった。窓が一つおきに潰されて鉄板になっている不思議な客車もあった。学生時代ならそのまま乗り込んで中央アジアの砂漠に走り出していただろう。
 大学の頃、カイロから砂漠を横切ってスエズ(地元の発音はシュエーズ)までローカル列車で移動し、公園のベンチのような木製座席のみならず口の中までいつの間にか砂でじゃりじゃりになったり、砂漠の真中で停車したと思ったら砂色の軍服の兵隊がどかどかよじ登ってきたり、なかなか楽しかった。そういえばあの時もいい気になって写真を撮っていたら途中で制服男が数人乗り込んできて数人の乗客が「あいつだ」と私の方を指差し、取り囲まれてフィルムを抜けと言われた事があった。近くにエジプト軍の基地があり撮影禁止区域だった由、不審者と思われ通報されたようだ。引き取って貰ったが、人間何歳になっても同じ事を繰り返すようだ。
 大草原や砂漠や土漠の一本線というのは大海原を行く船のような感覚を味わえ、是非また「陸上の航行」を楽しみたいのだが、とにかく時間を食う。今は醜く出る一方の腹が逆に皺々にしぼんで好々爺になる日まで、時間消費型の楽しみはとっておく事にしよう。
 タシケント駅を堪能した後、おあつらえ向きに隣接する鉄道博物館を覗いてみた。屋外展示にしては静態保存車両の状態が良いのは乾燥した気候の為だろう。旧体制のシンボルだった赤い星を思い切り大きく正面に掲げた蒸機が無造作に並び、さながら提灯行列のようだった。武骨な蒸機の群れの中で、巨大なステンレス製の窓枠がホラズムの澄んだ陽光を燦燦と反射しているドーム客車が目をひいた。


一時はドーム付列車の代名詞だったカリフォルニア・ゼファーの
全景(模型)と車内ドーム部分(於Gold Coast Railroad Museum)。
 旧ソ連製のようだが、ドーム部分の外観は1950年代に一世を風靡した米国のドーム列車カリフォルニア・ゼファー California Zephyr* とそっくりである事に気付いた。旧ソ連のアメリカに対する感情は憧憬と対抗意識という愛憎入り混じった複雑なものがあったようで、米国に張り合ったデザインがしばしば見られる

左:旧ソ連 (ウズベキスタン)、右:アメリカ。ドームの構造が設置方法から2階窓の配置までそっくりなのがわかる。

 今号は文字数が多い割に鉄道写真撮影に制約があった為、風景写真を埋め草代わりに使う。ウズベキスタンは現在はまだ観光客も少ないようだが、掛値無しでシルクロードの殊玉であり、眠れる観光大国といったところだ。人々も素朴で観光ずれしていないのもいい(これは観光化すれば変わるかも知れないが)。また現代史という側面でも、日本と縁がある。
 スターリンに遠路貨車でに詰め込まれて連行されて来られ前述のナヴォイ劇場(日本語の碑が残っている)建設等に強制労働させられた挙句異国の空の下で無念のうちに果てた亡くなった旧日本兵墓地が旧ドイツ兵墓地の隣にある。風情豊かなバザールで、積み上げたウズベク風ナン(ナンかの香辛料が入っている巨大な穴空き円形パン)や何かの豆の山の谷間でキムチを売っている東アジア系の顔立の売子がいたが、彼女のそう遠くない祖先も現代史の同様の犠牲者だったのだろう。
 急速に消え行くアラル海から遠くないところに残るヒヴァの古代城砦都市イチャン・カラは花丸をつけたくなる美しさだった。ムハンマド・アミン汗の壮麗なメドレセ(神学校)が何と宿になっている(しかも驚く程安い)。外人客は近隣の都会ウルガンチの平凡な(しかし英語が通じる)宿に誘導する仕組になっているようで予約に難渋したが、ドイツで言う einmalig な経験をしたければここは粘りどころだ。

ここに泊まらない手は無い
 先に砂漠を海に喩えたが、ウズベクの古都に今も多数残る光塔は夜間砂漠を駱駝で行く隊商の為の灯台としての機能もあったという。他に犯罪者を袋詰にして投殺する処刑台としての機能もあったそうで、そう聞くと天高く屹立する塔(写真はイスラム・ホジャのミナレット)は何やら恐ろしげだ。
 城門跡の内部の壁には穴の放列がある。ここではかつて奴隷市が開かれ、これらの穴は「商品」の拘留・展示に用いられたものだという。気の毒な話だ。
 汗(ハン)の宮殿跡には赤色基調の装飾鮮やかなハーレムも残っており、往時の華やぎが目に浮かびそうだ。青色を愛するウズベク人も女性は赤色を好むのだろうか。そういえば洋の東西を問わずトイレは男は青、女は赤の色分けが普通だが、どうして女性のシンボルカラーは赤なのだろうか。
 チムールの眠るサマルカンドは今は車溢れる大都会だが、街のあちこちに何層もの青を基色にしたモザイク模様の美しい遺跡が残る。

スペインの有名なアル・ハンブラー宮殿を美しいと思われる方は是非この本場イスラム建築の美の極みをご覧になる事をお勧めする。青の都サマルカンドの白眉はレギスタン(レジスタンとは無関係)広場だ。清冽な青基調のモザイク模様で美々しく飾り立てた千夜一夜物語に出てきそうなメドレセが惜しげもなくひしめき並んで、壮観の一言に尽きる。
 イスラムの細密模様は抽象性を特色とするが、ここには珍しく人物(ひょうきん顔の人面ライオンだが)も描かれており、この図柄は200スム紙幣にも用いられている。首都タシケントを襲ったような大地震がこの偉大な文化遺産を破壊しないように祈るばかりだ。

この廟の地下にチムールの棺がある
 青々と輝く見事なミナレットの頭端部を良く見ると草が萌えて風にそよいでいた。維持費が足りないのだろうか。EBRDHP* によると、脱稿日現在日本は米国に次ぐ二位タイの出資国であるうえ、日本人スタッフはウズベキスタンを担当する事が多いと聞くが、このような偉大な人類の遺産の保護に我々の払う税金が使われるなら光栄というものだ。
 既に日は傾き人影もほぼ絶え撮影にはおあつらえ向きだった。愛用のニコンでこの美しい一瞬を切り取る作業をせっせと始めた時、ピーと笛が鳴り渡りがらんとした広場にこだました。む、と思う間もなくどこからか警官がわさわさと湧いて出てきた。そして、中央の男がしゃがれ声で聞き覚えのある言葉を吐いた。「ダクミェント。」今度は遺跡撮影許可証を有償取得する必要があるとの事だった。彼らも顔が隠れそうな位にでかい制帽を被っていた。

シルクロードのドライブは快適で、時々オアシスにある茶店チョイハナで休んだ。庭に並べた柵付きベッドのような台にあぐらをかいて寛ぐ。遥か彼方までうねり続ける茫漠たる大平原のこの一帯だけ白樺やポプラが爽やかな音を撒きながらそよぎ、木漏日が卓袱台に落ちて揺れている。快適だった。

空気が乾燥しているうえコリアンダーがアクセントのプロフ(ピラフ)が油こかったので、店のおじさんが呆れる程茶チョイをおかわりした。「茶」程世界中で似通った発音をする昔からの単語も珍しい。ティー(英)、テー(独)、テ(仏・伊)、チャ(日・韓)、チャー(中)、チャイ(露・土)、チョイ・・交通不便な時代にもかかわらず余程急速に伝播したのだろう。ウズベク茶は発音だけでなく味も日本の緑茶に近かった。

巨大なサーチライトに全体主義の名残を見る

爽快な絹の道唯一の興醒めは州境(国境では無い)での検問だった。全車必ず停止線で一旦停車しなければならず、不審があれば脇で検査されるのだが、大体一台は捕まっていた。強烈な日光の下でご丁寧に全通過車両のナンバーを手書きで記録する役の大制帽男もいる。ご苦労な事だ。この21世紀の世に入鉄砲出女でも見張っているのだろうか。シェンゲン協定加盟国間では国境すらいつの間にか越えてしまうのとは発想が根本的に違うようだ。

政治学、という面白い学問がある。観察対象は人と人との関係という意味では法律学と同じだが、後者が無機質(条文の文言)と理想(あるべき結論)との間で煩悶するのと異なり、政治学は人間社会のありのままの力関係を観察する、猿山ウォッチングだ。政治学的切口によれば、人間社会は必ず支配する者とされる者に別れる。そして支配者は被支配者より常に少数である。この少数による支配を維持する最も手っ取り早い方法は軍隊や警察等の暴力装置を握ってしまう事だが、暴力装置は極めて高コストなのでこれだけに頼っていると早晩自滅する。そこで、もっと安上がりな支配方法は何か、為政者が考える色々な手練手管を研究するのが政治学だ。
 その方法として、権力の正統性を大衆の理性に理論的に訴えるというのが民主制の最も正攻法なのだが、正当性に自信が無くライバルに論破される虞があったり、大衆が牙を剥くのを恐れたりする場合、支配者は色々な寝技を用いようとする。そのような寝技には洗脳や情報封鎖といったレッドカードものから、巨大広場や軍事パレード等の大細工・小細工で力を誇示して反抗心を挫こうとするものまで、様々なものがある。このような政治学的方法論を頭の隅において各地のニュースを見ていると、強権的な国(或いは最近までそうであった国)程警官の制帽が大きく、これが権力の大きさを視覚的に強調する為の意図的な小細工である事に気付く。また、特に役人の外国人への警戒感も強いようだ。タシケント空港の入管の不必要な念入さと冷たさはモスクワのシェレメティエヴォ空港とマニュアルが同じである事を推測させる程、雰囲気もブースの構造も似ていた。体制が変わっても、それまでに植え付けられた大衆観や外国人への警戒感は一朝一夕には変わらないようだ。
 話は2年後の独ケルン中央駅に飛ぶ。この駅はドイツの交通の要衝駅の一つで、前号で取り上げた独 ICE3、ベルギー方面からの仏TGV の一亜種であるタリス Thalis 等の世界最高水準クラスのハイテク列車が行き交う中で、遥か東方からの列車も発着する文明の十字路でもある。最新鋭のVVVFモーター音も軽やかにオランダ方面に走り去ったICE3 の後に、その列車はやってきた。東西急行Ost-West-Express。無愛想な旧東独製のポンコツ電機が、くたびれた不揃いの凸凹編成の客車をごとごとと牽きながらホームに停まった。
 補足すると、ドイツ再統一後、旧東独の機関車の「顧客」だった旧国営企業群が競争に晒されて将棋倒しになり、旧ソ連駐留軍が撤退したりした結果機関車も大量「失業」し、まだ使える機種が仕事(鉄道用語で仕業(しぎょう)という)を求めて旧西独地域に大挙流れてきた。機関車トーマスならぬ機関車経済難民というところか。このような旧東独機がドイツ鉄道DBのマークを付けて旧西独のエース103や最新鋭機101と並んでいる構図は奇妙だ。しかし、体制の優劣をかけて戦う筈だった旧ソ連製のミグやスホーイ戦闘機がドイツ空軍の十字マークを付けて米国製のファントムやトムキャットと仲良く翼を並べている構図の奇妙さには敵わない。20世紀末の現代史のダイナミズムが、大空に、鉄路の上に、色々な形で現れている。

終点は遠い
 東西急行の行先は旧ソ連圏の様々な都市だった。その中でモスクワ行の寝台車だけは何とか西側並みの規格を有していたよう誇っていただが、鉄道好きの目は当然のように異国情緒ある旧式客車に吸い寄せられた。車両の新旧にかかわらず、ホームに出て乗客の札を改めている車掌の制帽が大きいのが旧体制の名残のように思えた。大きい制帽といえば…あれを思い出すなぁと2年前の苦い記憶を辿りながらカメラ片手に車体を観察していると、ベラルーシのミンスク行客車のところで大きな人影に行く手を遮られた。

制帽の大きさに注目
 顔を上げる前からその人物の発する高い電圧が伝わってきて何やら、ただ事では無いなと直感した。次の瞬間、私は小錦のような女性車掌の大きな影にすっぽり隠れている危うい自分を発見した。仁王立の彼女は私と視線が合うや(当然のように)ロシア語で機関銃のような速さで喚き始めた。外国で外国人を捕まえて躊躇なく自国語で喋る(吠える)大国意識というのは我々日本人には到底真似できない。「ファタグラーフィヤ(撮影)」や「ニェルズャ(禁止)!」等の断片的な単語から、写真撮影は禁止だと言いたいのだなとはわかった。普通なら余りの見当違いに苦笑して終わるところだが、彼女は勢い余って私には言ってはならない単語も言ってしまった。

「横臥する場所のある客車」、つまり簡易寝台車Liegewagenのようだ

「ダクミェント」。頭のどこかでかちっと音がしてモードが切り替わった。私の目は既に異国の車体を鑑賞する趣味人の目ではなくなり、興奮した車掌の目を冷めた目で真っ直ぐに見ていた。そして静かに問うた。「パチェムー?ズディェス・ゲルマーニャ(何故ですか?ここはドイツですよ)。」昔ハンブルグの現地校でギムナジウムに上がったばかりの頃に齧ったロシア語(第二外国語の他の選択肢はラテン語しかなかった)が不意に口を衝いて出てきた。が、昔取った杵柄もそこまでだった。国際法の議論に耐える共通の言語が無なさそうなので次の一手を考えようとしたが、車掌が予想外の行動に出た為その必要はすぐに無くなった。彼女は急に踵を返して車内に戻り、窓のブラインドを次々に下ろし始めたのだ。
 何事かとブラインドを上げようとして車掌にどやしつけられた乗客こそいい迷惑だったろう。このくたびれた客車の一体何を外国人の目から必死に隠そうとしているのか。自国客車の安普請を恥じたのならまだその愛国心に敬意を表する余地がある。しかしその高飛車で確信に満ちた態度から察するにそうではなく、教え込まれた通り「戦略的施設」たる鉄道をスパイかも知れない外国人の目から守らなければならないと頑なに信じているのだろう。その愚直さが滑稽を通り越して気の毒だった。この間、ロシア車の車掌はにやにやしながらこの座興を眺めていた。それは一足先に民主化の洗礼を受け世界中のビジネスマンが訪れるようになり、かつて刷り込まれた「攘夷思想」の虚構を肌で知るに至ったモスクワっ子の余裕のように、私には見えた。
 話は再び2年前のウズベキスタンに戻る。既に道路は真新しい韓国車(大宇自動車が目立った)で溢れ、サマルカンドの宿のテレビではポケモンをウズベク語で放送していた。ピカ君も遠くまで来たものだ。現代経済の大波は為政者が好むと好まざるとにかかわらず、待った無しで人も車もポケモンも乗せて国境を乗り越えて押し寄せてくる。ウズベク程の歴史遺産と自然美に恵まれた国ならば、その気にさえなればその大波に自分も乗って、綿花収入を遥かに凌駕する観光収入をあげてみせる事ができるだろう。私ならそうする。その為には大制帽のような小道具で強がってみせるのは格好良くないし、「ダクミェント」の連発はやめた方がいい。ピカチュウもびっくりして来なくなっちゃうよ。
 
     
 
本連載の画像・音声・動画は引用注記の無い限り筆者が撮影・録音。
資料は各脱稿日現在の該当会社・団体のHP、WikipediaWebsite über die schnellsten Züge der Welt 各所掲のデータを参照したもので、それ以上の検証は行っていない。
意見にわたる箇所は全て筆者の私見である。
   
 
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