Trans Eurasien Expreß seit 2002

 
erscheint i.d.R. vierteljährlich und behandelt bedeutende und/oder interessante Eisenbahnen und sonstige Transportmittel in der Welt, mit Vergleichen zwischen Japan und dem Ausland, Geschichts- und Kulturvergleichen - je nach Thema der Ausgabe. Alle Fotos, Ton- und Videoaufnahmen wurden vom Author selbst aufgenommen, soweit keine fremde Quelle ausdrücklich vermerkt ist.

Mikio Tanaka

 
     
   


 
38. 何だ坂、こんな坂

- リスボン市電28系統で味わう路面電車フルコースの愉しみ -
今回の取材地:
ポルトガル
1. 坂あり路地あり急カーブあり

1901年に電化 (当初は馬車鉄道) されて以来リスボン市電は eléctricos と呼ばれて親しまれてきたが、自動車の増加と地下鉄の発展によりピーク時の1959年には27路線を数えた市電網は脱稿日現在5路線にまで減った。ここまでは市電の典型的な栄枯盛衰の歴史だが、リスボンがユニークなのは観光客の多い路線を全車戦前型 (製造初年1932年) の旧式車で統一し、市電自体を観光名所にしてしまった点だ。その代表が今回ご紹介する28系統 (なぜ最盛期にすら27路線しか無かったのに28を名乗るのかは謎だ)。この方針は的中し、観光シーズンの28系統はいつも乗客で鈴なりで、空いた窓からカメラを持った手がひょいひょい出てくる面白い光景が見られる。



左はバイシャ Baixa 地区の中心、コンセイサオン通り Rua da Conceição。 後述の
リスボン大地震の際は波高15mもの大津波が襲ってきたというから、海岸に近いこの一帯では
通り両側に並ぶビルよりも高い、途方もない濁流が内陸に向かって駆け上った事になる。
【写真上】 28系統は麓の新市街 (左) と旧市街アルファマ地区 (右) を結ぶ。アルファマ地区は下町だが丘の上にあり、急坂・急カーブが連続し旧市街の狭い路地にも分け入るこの路線は車窓が極めて変化に富む。リスボンの観光地区一帯を恰も巨大テーマパークに見立て、その中を周遊する遊覧電車のような役割を果たしている。軌間は900ミリというから狭軌のJR在来線より更に16.7cmも狭いが、狭い街中をかき分けるように走るので車体は結構大きく見える。135‰ (13.5%) という最急勾配は僅か100m行く間に4階建ての建物の天井の高さまで登ってしまう計算で、通常のレールを用いたいわゆる粘着運転(ドイツでは Adhäsionsbetrieb という)では世界記録の由だ (Wikipediaによる)

【写真上】 緩やかに下ってくる12系統 (左) と最後の急坂を上り切った28系統 (右) が聖ジョルジェ城跡付近でマージする。終日観光客で満員で運行頻度の高い28系統と比べ、12系統は本数が少ないので両者の邂逅は稀にしか見る事ができない。12系統の路線は28系統を見てしまった者の目には刺激不足のうえ、新市街の中心の一つフィゲイラ広場 Praça da Figueira からアルファマ地区の中心の一つである聖ジョルジェ城までは12系統の市電よりも737系統のバスの方が遥かに便利 (城門まで行ってくれる) で快適 (冷房付) なので、12系統は観光客よりも沿線の地元客を拾っていくのが主な役割と見た。であれば日常利用を増やすために近代化しても良さそうなものだが、それを敢えてしないのは一部の急坂区間を28系統と共有する為、「28系統は全て旧型車」のコンセプトを徹底する為に付き合わされているような印象を受けた。もし12系統に新車を入れると、看板路線の28系統に一部区間に限った他線からの乗入とはいえ、新車が混じってしまう結果になるからだ。
【写真上】 アルファマ地区に登る坂の途中にリスボン市街を睥睨するように建つ大聖堂セは要塞のような威圧感を与えるが、建築当時は現に要塞を兼ね、銃眼まで残っている。軍事要塞と教会がセットとは一見矛盾するような、或いは効率的過ぎるような組み合わせだが、軍事機能を必要とした歴史的背景があったのだ。日本では大体平安時代に相当する数世紀の間リスボンはアフリカ大陸から攻めてきたイスラム教徒の支配下にあった。この大聖堂は、キリスト教徒がこの地を奪還後ムーア人のモスクを破壊してキリスト教会に建て替えたものだ。十字軍によるレコンキスタは宗教戦争そのものだったので、イスラム教徒による再攻撃があればキリスト教のシンボルである大聖堂は格好の攻撃目標いなった事は想像に難くない。この大聖堂の堅牢さは1755年のリスボン大震災 (M8.5~9と推定される同地震は記録に残る自然災害の中では西欧最悪のもので、波高15mもの大津波と火災による犠牲者を含めると死者9万ともいう) にも耐え残った事でも証明された。左側のオレンジ一色は一昔前の標準色 (1993年撮影)、右は現在の観光車 (2011年撮影)
2.  28系統の別の顔:路地裏特急

路地の反対側で待っているであろう対向車を待たせない為か、路地裏区間は阿呆な撮影者など無視してぶっ飛ばしてくるので撮影は結構命がけだ。撮影をしながら何か物足りなさを感じていたのだが、その原因は旧式電車特有の釣掛モーターのざらついた音がしない為である事に気付いた。駆動音はカルダン式のようだが極めて静かで、ポールからの集電音でやっと電車の接近がわかるくらいだ。Wikipediaによると近年独 Kiepe 社製50kwモーターに換装されたという (チェコのシュコダ製とする文献もあり)。これらの形式は remodelados と称されるが、語感から推測して「更新車」くらいの意味だろう。

【写真上・左中】 路地区間を南側から見る。路地の谷底の暗がりを抜けて飛び出してくる電車。このシーンを撮影したくてリスボンに行ったのだが、嗚呼、何という事か、一番のハイライト区間の、しかも隠しようもないど真ん中で工事がなされていた。クラシックな街灯の放列も台無しになってしまい、残念でならない。

【写真上・右】 路地区間を北端に抜けると直角の急カーブをなぞってやや広い路地に入り、更に数十メートル走ると複線区間に戻り、ボトルネック区間はそこで終了する。
【写真上】 洗濯物が風にはためく民家の門前の、車一台やっと通れる狭い路地を電車までも頻繁に行き交うという濃い環境では、大人はいいとして子供の安全確保は大丈夫だろうか。ここの交通教育には「電車が来れば蟹のように壁に張り付いて動いてはいけません」の一項が含まれているのかもしれない。
【写真上】 大人の目から見ればたかだか900ミリゲージの鈍足小型電車でも、幼児の目線まで下がれば仰ぎ見んばかりの大きな鉄塊がぐんぐん迫ってくるのは恐怖だろう。どの車両にもこのように前方に排障器を付けており、万一子供の飛び出しがあっても轢断事故だけは防がれるのだろうが、それでも接触事故が起きれば深刻な怪我は免れまい。この強引な通過風景は、列車が市場をかき分けて走る事で有名なタイ・メクロン線の折り畳み市場 第34話の画像・動画参照) を連想させる程のきわどさだ。
【写真上】 単線の隘路区間の両端は長い信号待ちで電車がダンゴになって対向電車を待つ事がある。ボトルネックの単線区間で線路に僅かでもはみ出して駐車したり無理な離合を試みる車が1台でもあると (左)、隘路区間の両端では忽ちこの通りだ (右)
3. 麗しい車内と厳しい線形を支える小道具
【写真上】 車内は混みがちな運転手席直後を除き2+1のクロスシートが基本だ。内壁や窓枠はニス塗りの木製で、落ち着いたウッディな車内と、南欧の陽射しを反射するポルトガル特有の青タイル (右の窓の外の家の壁) のコントラストが美しい (尚、この写真の車体の傾きにも注目されたい)。古き佳き雰囲気を維持する反面、設備の近代化は随所にみられる。同じく右上の写真の窓と窓の柱上方の赤いボタンは停車ボタンだが、更新前は紐を引く方式だったようだ。次号第39話で紹介する、スペインに譲渡された車両は紐方式のままだ (或いは旧スタイルに復されたのかもしれない)。更に磁気カード読取機の設置は当然として、防犯カメラまで設置されているのは、それを必要とする事情があるのだろう。

28系統は狭い路地に飛び込む急カーブが多く、様々な工夫がなされている。【写真上・左】は急カーブの箇所のみくびれる道路形状なので、このボトルネック区間のみ線路が跨ぎ合うガントレット方式 (狭窄線) を採用し、ここを抜けると再び複線に戻る。普通の単線にしてしまうと複線区間との境に分岐を設けて頻繁に転轍作業を行わなければならない為と思われる。このガントレット方式は名古屋鉄道瀬戸線で廃止されて以来、日本には現存しない。このカーブの更に約100m先からは狭い路地を電車が強引に通り抜ける撮影名所だが、線路を4本並べる余裕が無く、単線が路地一杯に敷かれている。【写真上・右】は限られた路面を最大限活用して旋回半径を稼ぐ為、隣の線路に一時的に侵入している例だ (28系統・シアード地区)。12系統には交差点で歩道に食い込んだ急カーブもあった。

【写真上・左】 フィゲイラ広場 Praça da Figueira で邂逅する20世紀初頭車と21世紀初頭車。こうして見ると1世紀弱の差は歴然だ。主に新市街の交通量の多い区間を行く15系統は、観光客用に旧式車で統一している28系統とは対照的に実用重視で、このように3両連節式の冷房低床LRT (独Siemens社製) が導入されている。

【写真上・右】 全開の窓から車内を吹き抜ける乾いた爽やかな風には、太陽に焼かれた砂・潮風・食事に使うのであろうオリーブの香りが微かに混じり合い、南欧を感じさせる。
4. リスボンの坂を彩るもう一群の主役達:ケーブルカー Ascensor
【写真上】リスボン市内にビカ Bica 線、グロリア Gloria 線、ラヴラ Lavra 線と3か所あるケーブルカーの中で、私はこのビカのケーブルカーを最も愛する。理由は①テージョ河口を見下ろす鄙びた下町の急坂というリスボンらしい舞台、②小ぶりで可愛らしい階段状の車体、それに③味のある麓駅の存在だ。車内は通路の無いボックスシートが階段状に3区画あり、それぞれに出入口がある山岳ケーブルカースタイルだ。ニス塗の木造の車内を裸電球がぼうっと照らすタイムスリップ感覚も良い。ケーブルカーなので車両は路面下を流れるケーブルに掴まって動くので、車両にモーター類の駆動系は不要な筈で、現にモーター音も発しない。それなのに何故このように大袈裟な集電装置が必要なのか不思議だ。奇妙な形の大型パンタグラフや架線設備は、たかだか数個の裸電球を光らせる為だけには明らかにoverkillだが、このような過剰に見える集電装置は他の2線にもある。
【写真上・左】 ごちゃごちゃした下町の建物群の谷間にぽっかり空いた複線区間で離合するビカ線のかわいいケーブルカー。

【写真上・右】 雑然としたビルの横腹に開いた、狭く高いアーチ門をくぐると、その中が麓駅だ。古い集合住宅の1区画の1・2階部分が斜めにくり抜かれた空間が駅舎になっている。 Ascensor エレベーターという表現を用いているが、一種の斜行エレベーターとも言える。
【写真上】 麓駅内部は宣伝ポスター一つ無いモノトーンの壁に囲まれ、薄暗く、涼しく、静謐でがらんとした空間が広がる。南国の太陽が照りつけ、暑く、騒々しく、混沌とした外界との著しいコントラストは、ちょっと不思議な感じだ。騒々しい街中の教会に入った瞬間、薄暗い無人の礼拝堂の中で突然の静寂に包まれるような、そんな感覚だ。18年前に訪れた時の写真と見比べてみたら、当時無愛想な棒型の蛍光灯がむき出しだったのが、クラシックなライトに変更されていた。こんな小道具にも、トラムやケーブルカーを観光資源として盛り立てて行こうという意気込みが感じられた。暖かい電球色を好む欧州フランス以北と異なり、照明の色が寒色 (白昼色)なのも暑い南欧らしい。リスボンの町は、同じく白色灯が好まれる東南アジアにも似た下町の猥雑な感じも相俟って、欧州にいながら欧州離れしたエキゾチックさを醸し出している。
【写真上】 一度見たら忘れられない鉄仮面と鰻の寝床のような車内。グロリア Gloria 線とラヴラ Lavra 線は共に新市街にあり輸送量も多い為か車両も大型だ。ただ階段状車体のビカ線と異なり車内はフラットなので、必然的に出入り口は山側の1か所にあるのみで、谷側先端部はドアは無いのは勿論 (無理に設置するならハシゴが必要になる)、このように絶壁状に切り立っており、巨大な馬面はお世辞にも美しいとは言えない。しかもこの広々とした顔が落書屋に絶好の「キャンバス」を提供してしまったようで、vandalismの犠牲になった車両は目も当てられない。Lavra 線は元々水力鉄道 (正確には水を錘(おもり)として用いる水錘鉄道ないし水重式ケーブルカー、第36話参照) だったが後に電化されたものだ。
5. その他

ついでに市電以外の面白乗物も紹介しておくと、サンタ・ジュスタのエレベーター Elevador de Santa Justa 【写真下・左】 はパリのエッフェル塔の設計者、アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル Alexandre Gustave Eiffel が設計したもので、観光名所になっている。またその近くのロシオ駅 Estação do Rossio (ロッスィーユと聞こえる) はファサードの美しい駅舎だがホーム 【写真下・右】 は全て4階にあり、しかも出発した列車はすぐトンネルに入るという不思議な構造だ。ここからはシントラ Sintra 方面の近郊電車が出るが、シントラにある奇城・ペーナ宮殿は南独のノイシュヴァンシュタイン城といい勝負のお伽の国の城だ。この城を建てたフェルナンド2世はノイシュヴァンシュタイン城を建てたバイエルン王ルートヴィッヒ2世 (その王室専用車については第23話第24話参照) と親戚であるとの記事をどこかで目にした事がある。噺としては面白いが、その真偽は未確認だ。

美しく、かつ潮風に吹き晒されつつも南欧の乾燥した気候が幸いしてか保存状態が良いものが多いリスボンの旧式市電の中には、遠い異国に売られて余生を送っている仲間も少なくない。日本でも土佐電鉄が旧28系統等の2軸車・旧15系統の大型ボギー車各1両を譲り受け、それぞれ533形・910形と称していたが、前者は惜しくも2008年に廃車され、脱稿日現在、愛媛県西条市の四国コカコーラ・プロダクツ㈱の敷地内に静態保存されている。

次号第39話では、まとまった数の2軸車がリスボンから移籍した、スペイン領マヨルカ島のソィエル鉄道・軌道線をご紹介する。

(2011年7月)
 
     
 
本連載の画像・音声・動画は引用注記の無い限り筆者が撮影・録音。
資料は各脱稿日現在の該当会社・団体のHP、WikipediaWebsite über die schnellsten Züge der Welt 各所掲のデータを参照したもので、それ以上の検証は行っていない。
意見にわたる箇所は全て筆者の私見である。
   
 
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