Trans Eurasien Expreß seit 2002

 
erscheint i.d.R. vierteljährlich und behandelt bedeutende und/oder interessante Eisenbahnen und sonstige Transportmittel in der Welt, mit Vergleichen zwischen Japan und dem Ausland, Geschichts- und Kulturvergleichen - je nach Thema der Ausgabe. Alle Fotos, Ton- und Videoaufnahmen wurden vom Author selbst aufgenommen, soweit keine fremde Quelle ausdrücklich vermerkt ist.

Mikio Tanaka

 
     
   


 
5.浮遊「鐵」道で空中散歩を 

- ② 過去編: 皇帝車 -
今回の取材地:
プロイセン
ドイツ

最初の画像は蚤の市 Flohmarkt で見つけた絵葉書をスキャンしたものだ。Sonnborn 橋の立体交差を轟然と遊弋する Wuppertal の浮遊鉄道を、重連蒸気機関車牽引列車とオープンデッキ付路面電車が脇役となって引き立てている、交通マニアにはとても贅沢な構図だ。

定点撮影的に同じ構図で橋の上を ICE が走っている今日の写真を撮ってこれと並べる事ができれば面白いのだが、そういう偶然のチャンスを狙うには尻に根を生やして丸1日待つ覚悟が必要という事は鉄道少年の頃の経験 (註1) で知っており、諦めた。

 冒頭の絵葉書の消印はヴッパータールのモノレール 第4話参照) 開業後12年目の1912年 (大正元年)。当時のドイツはプロイセン王国の鉄血宰相ビスマルクの主導で統一成ったドイツ帝国を Hohenzollern (ホーエンツォレルンと書くのが一般だがホーエンツォッラーンの方が近い) 朝が治めていた。本号冒頭左側の旗が当時の帝国旗だ。その右側は現在のドイツ連邦共和国の連邦旗 Bundesflagge で、ドイツ基本法(憲法)22条は黒・赤・金 (註2) と定める。

 
(註1) 国土地理院発行の地形図(当時は Google map のような便利なものは無かった)・弁当・飲料・文庫本・折畳椅子・防虫スプレー・雨合羽・タオル(雨中撮影の時くるんでカメラを守る為)という8点セットで完全武装して、C57やD51を追い北海道の原野でここと決めたポイントで何時間も粘ったのは遠い昔だ。学生の頃は無尽蔵にあるように錯覚した時間という見えない資源が社会人になると希少資源と化したのは、鉄道少年成れの果ておじさん共通の悩みだろう。
(註2) 通常は黄色で代用されるが、金の国旗色とは珍しい。黒地・赤襟・金ボタンのプロイセンの抗仏義勇兵の軍服に由来するというが、それは更に神聖ローマ帝国旗の配色に由来するともいう。
 


ビスマルク  【出典:Wikipedia】

上の2枚はプロイセン王国の首相・オットー・フォン・ビスマルク Otto von Bismarck (1815-1898) のベルリン大学法学部卒業当時の秀麗な肖像画と、ピッケルハウベ Pickelhaube (ドイツ陸軍で用いられた角出しヘルメット) 姿の迫力ある宰相時代の写真だ。知的な表情をしているが、事実、知略と力攻め双方に長けた智将的才能を発揮し、有名な鉄血政策を推進した。ドイツ統一の主導権を争っていた強敵オーストリア帝国に対しては両雄並び立たずと大軍を差し向けて圧伏させる一方、白鳥王ことヴィルヘルム2世第23話参照) の築城三昧で財政破綻に瀕していた南独の雄・バイエルン王国に対しては御し易しと築城費を援助して懐柔する、硬軟両面作戦でドイツを統一し、彼の上司だったプロイセン王ヴィルヘルム1世に天下を取らせた。統一後はドイツ帝国初代首相として当時先駆的な社会保障制度を導入し、また膨張を続けるドイツの孤立を避けるべく老獪な外交術を駆使した。だが、彼の才能と存在の大きさを煙たく感じた若き新帝 (ヴィルヘルム1世の孫) に解任され、歴史の舞台を去った。ビスマルクを失ったドイツ帝国は急速に衰運を辿り、ビスマルクが鉄と血で築いた大帝国は、この能吏を解任した皇帝の代で早くも滅亡する事となる。

 ニュルンベルグの交通博物館にはビスマルク専用のサロンカー Salonwagen が保存されている。カーフェリーの中の車のように保存車両がぎっしり並べられている区画にあり満足な撮影もできないが、一応挿入しておく。車内の写真はDB博物館のHP* で見る事ができるが、彼の謹厳実直な風貌に似合わず結構貴族趣味だった事がわかる。
 次の写真は一時は全ドイツを支配したHohenzollern 家の末裔が今日も住む ホーエンツォッラーン城* Burg Hohenzollern の遠景だ。城の外観は重厚で、同じドイツでもバイエルンの新白鳥石城 Schloss Neuschwanstein (第22話第23話第24話参照) のような華は無い (註3) が、緑の地平線の上をゆっくり流れる巨大な雲を背景に天を衝くシルエットの美しさは、宮崎駿の映画の1シーンのようだ。Tübingen 近郊にあり、 内部見学* も可能だ。
 
(註3) ドイツの城は中世の要塞兼用の城を Burg、近世以降の宮殿を Schloss と使い分ける。日本で言えば武家政権(幕府や藩)が建てた城はその軍事機能に着目すれば皆 Burg で、Schloss は京都御所か秀吉の聚楽第くらいのものだろう。Hohenzollern 城も Neuschwanstein 城も共に19世紀後半の築と新しく軍事的意味合いも無いので本来共に Schloss と称すべきところ、前者は同じ地に中世からの Burg の廃墟があった事と、プロイセン的な無骨な印象から Burg と呼ばれていると思われる。
 
 そのビスマルクを解任した皇帝こそ、本号でご紹介する皇帝車に試乗したヴィルヘルム2世 Kaiser Wilhelm II (1859-1941)(写真下)。この仁は、超大国ロシアを極東の無名の島国が負かすという驚天動地の世界史デビューを果たした日本の台頭に警鐘を打ち鳴らし黄禍論を唱えた白人至上主義者でもあり、肌の黄色い私としては好きになれない。


Hohenzollern 朝ドイツ帝国の初代皇帝・ヴィルヘルム1世(左)と、その孫で早くも末代
皇帝となってしまったヴィルヘルム2世(右)。2世の文字通りのカイゼル(
Kaiser = 皇帝)
髭を詰めれば夏目漱石に似ているような気がするのは、筆者だけだろうか。【出典:Wikipedia】

 彼は覚醒したアジアとの決戦に備える為と称して、黄禍 gelbe Gefahr を大海軍建設の口実にも用いたが、勿論真の仮想敵国は英国だった。ヴィルヘルム2世は汎ゲルマン主義 Pangermanismus を唱え、植民地獲得競争でのドイツの出遅れを取り戻すべく英仏露の権益に手を突っ込み、袋叩きに遭う (第一次世界大戦)。大戦の勃発は冒頭の絵葉書の消印の僅か2年後だ。Hohenzollern 朝ドイツ帝国は英仏露の三国協商を核とした連合軍に攻め滅ぼされ、ドイツ史は Waimar Republik ヴァイマール共和国へと繋がる。ヴィルヘルム2世はオランダに亡命し、この間に授権法によって政権を簒奪したナチスに復位の夢を託すが果たせる筈もなく、亡命先でかつての臣下をどなり散らしながら老いて死んだと伝えられる。爾後ドイツに帝政が復活する事は無かったので、彼はドイツ帝国のラスト・エンペラーでもあった。


Burgholzhausen から出る遊覧ヘリから鳥瞰した Kronberg
 話が側線から更に側線に入るが、ヴィルヘルム2世の母親ヴィクトリア皇太后は皮肉な事に彼の天敵・英国の王家出身で、彼女の隠居城は今日ドイツ屈指の古城ホテルとなっている。勃興→膨張→周辺国の反発→敗戦による国土の荒廃、のパターンを繰り返したドイツでは、古城ホテルといっても廃墟の中に新しい建物を詰め込んだだけの退屈なものが多くて要注意だが、爆撃目標から外された英国ゆかりの城をホテルに改装したこの Schlosshotel Kronberg* は本物だ。


広大な114号室は複雑な形をしており、ドイツ帝国のラストエンペラーが
起居した寝室は右のドアの奥にあり、宿泊客は当時のベッドを利用する。
 特にこの114号室は、ヴィクトリアの城を訪ねた時のヴィルヘルム2世の居室だった文字通りのロイヤルスイートだ。ドイツの物価水準から見ると高いが、東京の一流ホテルのスイートと比べれば費用対効果は十分見合っている。フランクフルト中心部から僅か15kmのタウヌス丘陵中腹にあり、広大な庭園には日本紳士の好むゴルフのコースもあり、バブルの頃は発行体が日本企業のユーロ債の調印会場にも良く使われた。
 この窓から朝日に輝く庭園を眺めたであろうヴィルヘルム2世が開通祝賀 Einweihung の為 Elberfeld から Vohwinkel まで試乗した1900年当時の車両の特別運行がなされている事をHPで知り、申し込んだ。 当日。現在は皇帝車 Kaiserwagen と称されている5号車を連結した保存列車は、片方の終着駅 Vohwinkel の奥で蹲るように出番を待っていた。同駅近辺は独工業都市では珍しく壊滅的戦災を免れ、産業革命当時の煤煙のにおいさえ漂ってくるような雰囲気だ。
 いよいよ皇帝車が入線。昔の制服に身を包んだ運転手が乗客を迎える。運転手のはじける笑顔とは対照的に、濃茶一色の無愛想な顔は一昔前の英国の鉄道車両の不細工な顔といい勝負だし、側面は赤・ベージュにくどい黄色のアクセントでごてごてと飾り立てられ、外観は余りいただけない。

木目・ボックスシート・花房形カバーの白熱灯・ビロード地カーテン付の車内は、一転していい雰囲気だ。座席配置は2+1で、おそらく1・2等の境界があったとおぼしき場所に唐草模様入りのガラスの仕切がある。皇帝車といっても宮廷専用の御料車 Hofwagen ではなく、当時の量産車の1等車室に多少手を加えたものだ。この特別列車は往時の衣装を纏った車掌の案内付きで全線を一往復し、その間茶菓子が供されるので、運行名はコーヒー列車 Kaffeefahrt という。
 時の皇帝ヴィルヘルム2世が着席したという席だけ少しクッションが厚いのがご愛嬌だ。ヴィルヘルム2世はその唱導する汎ゲルマン主義実現の為かドイツの科学技術振興に力を入れたが、そう言う本人は科学技術を余り信用せず、当時のハイテクの塊だった鉄道や自動車の安全性に疑念を持ち、乗るのを嫌ったとも伝えられる。この噂が本当なら、多少ふかふかした椅子を与えられても、鉄骨を不気味にきしませながら空中にぶら下がって疾走するモノレールの試乗中はさぞ居心地が悪かっただろう。

乗物恐怖症の皇帝が事もあろうに空中浮遊列車に我慢して乗らなければならなかった事をヨーロッパ史的意味合いで見ればどうだろうか。産業革命・植民地獲得競争両面でのドイツの出遅れの挽回にはこの世界初のモノレールは「世界に冠たるドイツの工業力」の絶好のシンボルであり、ドーバー海峡の対岸に向けても高らかに喧伝する政治的必要があったのは想像に難くない。


お召運転当時に皇帝ヴィルヘルム2世が座った右側の席だけ
クッションが厚いのが、節約心旺盛なドイツらしくて微笑ましい
 運転士用には運転室はおろか椅子も無く、皇帝とは随分待遇が違う。進行方向斜めに立ったまま少々しんどそうな姿勢で運転する。前方窓は小さいが、側面窓は大きく厚手のカーテンまで付いている。
 VohwinkelVohwinkel 行。乗客全員乗車そのものが目的の特別列車で、しかも全線複線なので途中停車駅は反対側の終点 Oberbarmen だけで途中駅はノンストップだ。
 とはいえ退避駅は存在しないので先発の各駅停車の後を続行運転するだけだ。つまり鈍行と同じ平均速度という事になる。駅をとろとろ通過していく様子は首都圏の通勤ライナーのようなのんびりムードだ。

ふと、車内の平均年齢が異様に高い事に気付いた。子持ちの私が何と一番の若造だ。2両に20名強程乗っていたが、年齢を単純合計すると1200歳近かったと思う。ドイツの鉄道好きはなぜか高齢者が多い。日本の新幹線ホームに500系のようなスターが入線しようものなら、あの戦闘機のように凛々しい先頭部を撮影しようと豆カメラマン君達の人だかりがホームの端にできる。ところが同じ美しさを持った独ICE3 第11話で述べるようにJR西500系とICE3は同じデザイナーの作品だ) が登場しても、撮影をする者などまず見かけない。それどころか、ICE3の撮影に興じていたら、幼稚園位の子:「Mami, was macht er? おかあさん、あの人何やってるの?」 母:「Keine Ahnung... Vielleicht eine Industriespionage? さあ。産業スパイかしら?」 というトンデモ会話が聞こえてヘコんだ事もある。

 上の写真は路線中程にあるDB接続駅、Wuppertal Hbf (中央駅 )に進入する様子だ。駅ビル中腹の小さな開口部に中空から入っていくので、恰も壁に向かって特攻していくかのような錯覚に陥る。

往路の終着 Oberbarmen の転回は車庫内で行うので、乗客は一旦下車して反対側始発ホームに移動する。しかし車庫の中がどうなっているのか見たかったので、運転手の諒解を得て私だけ車内にとどまった。上の写真は4号でご紹介したユーゲント様式の車庫へ進入する場面を車内から撮影したものだ。

 天井さえ見なければ、がらんとした床の上に目に見えない軌道があるようで面白い。奥の壁にぶつかる寸前に直角カーブで左折、格納されているモノレールの編隊を横目に移動してまた左に直角に左折し、そこで折り返し各駅となる先発列車に追い付き、数珠繋ぎ状態で待機となった。
 当然ではあるが、床が全くフラットで歩き易いのは新鮮な感覚だった。出入庫がある時以外は、閉館時の体育館のように薄暗く静かな空間だった。列車が接近すると庫内宙空に複雑に這い回っている軌道からかすかにコツン・・コツン・・と金属音が響き、だんだん大きくなってきて、お、来るなとわかる。
 立体的なパノラマの連続と動態の世界的鉄道遺産とを僅か14.50ユーロ (約2000円)で約80分間たっぷり体感できるこの企画は、鉄道ファンでなくとも十二分に楽しめる安価なアトラクションである。運行日は限定されているが、予約は直接市観光課にネット* ないし電話 (註4)でできる。
(註4) *皇帝車予約電話: 0202-19433
(独国外からは +49-202-19433)
 
     
 
本連載の画像・音声・動画は引用注記の無い限り筆者が撮影・録音。
資料は各脱稿日現在の該当会社・団体のHP、WikipediaWebsite über die schnellsten Züge der Welt 各所掲のデータを参照したもので、それ以上の検証は行っていない。
意見にわたる箇所は全て筆者の私見である。
   
 
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