Trans Eurasien Expreß seit 2002

 
erscheint i.d.R. vierteljährlich und behandelt bedeutende und/oder interessante Eisenbahnen und sonstige Transportmittel in der Welt, mit Vergleichen zwischen Japan und dem Ausland, Geschichts- und Kulturvergleichen - je nach Thema der Ausgabe. Alle Fotos, Ton- und Videoaufnahmen wurden vom Author selbst aufgenommen, soweit keine fremde Quelle ausdrücklich vermerkt ist.

Mikio Tanaka

 
     
   


 
8.絶望の終着駅に佇み風に吹かれる
今回の取材地:
ポーランド
ドイツ

 ポーランドで私的に訪れる都市を一つだけ選べといわれたら私はクラクフ (クラカウ) Krakow を選ぶ。クラクフ自体、その戦災を免れた旧市街がユネスコの世界遺産に指定された麗しい古都 (10~16世紀はポーランドの首都だった) だからというだけでなく、ナチスドイツ最大の強制収容所 KonzentrationslagerKZ と略される) 跡という、途方もなく巨大で黒々しい現代史の十字架が、郊外の森に深々と突き刺さっているからだ。地底の塩鉱山も近郊にあり、中世の遺産・現代史・大自然と、変化に富んだ予定を組むことができる。この一帯の訪問をお考えの方の為に、本題とは無関係だが塩鉱山についても末尾で簡単にご紹介する。KZ にせよ、地底の塩鉱山にせよ、今回のテーマは、暗い。
アウシュヴィッツ Auschwitz (現地名オシュフィエンチム Oświęcimは観光気分で行く気になれなかった (観光なのだが) のと、ポーランド国鉄PKPに乗ってみたかったのとで、乗換駅での接続の悪さと現地での移動の不便は承知のうえで、便利なバスツアーではなく鉄道で行く事にした。
  幹線の快速列車の客車は区分室方式だったが通路までぎっしりで立ちん坊だった。区分室方式はプライバシーに優れる反面詰込がきかない。鉄道という移動手段が空いている西側諸国 (1989年の東欧ドミノに続き2004年にEU東方拡大が実現した今日、この優れて20世紀後半的単語は死語になっていくだろう) ではまず見かけない現象だ。
  車内・駅至る所に 「Uwaga!」 で始まる標識があるが、これは「注意!」だろう。語感がいかにもそれらしくて面白かった。途中 Trzebinia で鄙の風情豊かなローカル線に乗り換え、軌道を覆い尽くす雑草をかきわけるように進み、Oświęcim 駅でタクシーを拾った。
  アウシュヴィッツ博物館のHP* や現地での解説によると、1940年にアウシュヴィッツ強制収容所が造られた当時は、収容者は近隣のオシュフィエンチム貨物駅から道路で運ばれたが、1944年に3キロ離れた Brzezinka にビルケナウ Birkenau 強制収容所ができると様子が変わった。こちらは本格的な絶滅収容所で、貨車のまま構内直送として「作業」を効率的かつ隠密裏に行う為に引込線が引かれた。日常の通勤列車が行き交う本線からさりげなく分岐した単線は、地獄への一本道だった。
 無数の市民が安定した日常から突然引き離され、何が起きたかわからないまま座席・窓・照明・暖房・トイレ、何も無い行先不明の貨車に石炭のように積み込まれ、出発地によっては1週間もの間、時には食料も与えられず、餓え渇き、凍え、病み、糞尿にまみれるに任せて鮨詰輸送したという。死んでも構わぬというこの輸送待遇は、生きたまま運ばなければならない家畜以下の扱いだった。人間性を頭から否定する断固たる悪意を隠そうともしない扱いの向こうに待ち構える運命を、乗客達は貨車の暗闇と悪臭と寒気の中で既に予感していただろうと思うと、胸が痛む。ワシントンの ホロコースト博物館* Holocaust Memorial Museum には被害者の大量国策輸送に使われた DR の貨車* が永久展示され、車内に入る事もできる (撮影不可)

「死の門」
 一歩入ればそこは地獄の一丁目という、 KZ ビルケナウの恐ろしいゲートが隔てる内外の世界の落差は絶望的に大きかった。本線から運命の分岐線に分かれ、この門をくぐって欧州各地から到着した貨物列車から降ろされた犠牲者達に、「お前達が再びここから出る時はあの焼却炉の煙突からだ」と言い放った看守もいたという。そして、事実その通りになった。 現実は時として、かくも不条理だ。
 同じ門を内側 (「駅」があった辺り) から遠望。強制労働が主眼だったアウシュヴィッツでは当時の建物が多く残っているのとは対照的に、絶滅施設が多かったビルケナウでは敗走直前にドイツ軍が多くの施設を証拠湮滅の為に破壊した為、現在は野草が茫として風にそよぐだけの廃墟だ。あの門が開き、縦隊に整列した武装兵が固める中を、時刻表に載っていない狂気の列車が到着した時の緊張と喧騒と絶望を想像しながら静寂に耳をすませば、微かだが潮騒のような無数の草葉のざわめきの陰から、100万を超す亡霊達の鬼哭啾啾が聞こえてきそうだ。
 言論の自由という民主主義の寛容さを最大限利用しながら権力の座に着くや民主主義と法治を否定し恣意的な独裁に走ったヒトラーの方法論と再発防止策の研究は政治学最大のテーマの一つだ。彼は人種差別・アーリア人至上主義的愛国心という、当時のドイツ人の深層心理に沈んでいた非理性的感情を湧き上がらせ、津波のようなエネルギーに糾合し、その力を自分への支持に結晶させる天才だった。

かつて電流が流れていた鉄条網
 これだけなら単なるスーパー山師だが、彼の真の狂気は、大衆を酔わせる為に自ら作り上げたアーリア人至上主義的世界観という一大虚構に、現実の方を無理矢理合わせようとした事だ。彼の定義する劣等民族のジェノサイドという狂気の大芝居に付き合わされて殺された犠牲者の数はアウシュヴィッツとビルケナウだけで110万から150万とされる。

ユダヤ人は墓石の上に小石を並べて死者を悼む。
 敷地内に四角い池がいくつも点在する。碑によると、これらは無数の無辜の虜囚が自分達が間もなく埋められる穴を強制労働で掘らされた後流れ作業のように射殺されそのまま投棄された場所が沈下してできた池だという。葉が青々と元気な美しい林も、結果的にその養分となったものに思いが到り、慄然とする。
 ユダヤ人の修学旅行生と思しき若者の一団が、小雨の中傘もささずイスラエルの旗を押し立てて鎮魂歌のような荘厳な歌を歌いながら行進していた。写真はビルケナウ構内駅跡。漸く貨車から出られた「乗客」をここで待っていたのは銃を構えた兵士の放列だった。線路に平行して監視塔が並ぶ。同じような光景は戦後「本国」ドイツでも繰り返された。東独政府は自国民が西独に脱出するのを阻止する為東西ドイツを縦断する万里の長城を築き、一定間隔で設置した監視塔から東独に見切をつけて脱出を試みる自国民を次々と射殺した。
 だが、歴史は繰り返さなかった。旧東独崩壊後、自国民の射殺を命じた上官のみならず、直接手を下した兵士も殺人罪で罰し、この点でもドイツはけじめをつけた。通常の法理なら兵士が上官の絶対的な拘束命令に従った行為は罪に問われない場合が多いが、歴史に学んだ戦後 (西) ドイツは、ここでも毅然とした態度を示したのだ。
 人体実験や人体を原料にした工業製品の試作等、書くも憚る所業と並行して、国家の名においてジェノサイドが実行された。天井まで山積みされた囚人靴 (次の写真) は、狂気によって断たれた人生の数の2倍だけある。お人好しで純朴な正義漢の多いドイツ人達が何を考えながらそれぞれの「任務」を黙々と遂行したのか。集団の狂気ほど恐ろしいものは無い。
 ここで話はドイツに飛ぶ。次の写真は隣国ポーランドに造ったこの KZ で地獄絵図が展開されていた頃のドイツの名機01の流線型バージョンの動態保存機だ。
 蒸気機関車にもかかわらず新幹線のように流麗な流線型ボディと、正面中央の鷲のマークの下の輪の「中」が空っぽである事 (現役時代にはここに鉤十字が入っていた) の両者にご注目戴きたい。これらを題材に、「鉄道と政治学」という視点で少し観察してみたい。
 数において少数の為政者が高価な暴力装置に頼らずに多数を支配する為の方法論を研究するのが政治学だが、その典型的な方法が権力者が握っている力を誇示して反抗心を挫いてしまう事だ。強権支配を行う国程巨大広場を作って軍事パレードやマスゲームをやりたがるのはこの為だ。
 更に、「自国人種の優越性」のような、甘美だが危険な大衆感情が利用される場合もある。この麻薬のような幻影が政権や植民地経営の正当化に用いられている場合、その虚構を目に見える形で「証明」する為に怪しげな神話が作られたり、自国技術の優秀さをこれ見よがしに示す必要が出てくる。ただ実体が伴わないのでコケオドシ的なモニュメント・建築・機械類が街の風景を特徴付ける事になる。
 例えば先の機関車の見事な車体をご覧戴きたい。流線型の機体は美しいだけではなく、威厳に満ち、威圧的でさえある。如何にもヒトラーの説く世界で最優秀なアーリア民族の機関車に相応しい。ドイツ鉄道史では黎明期から現在までを5つの期エポッへ Epoche に分けるが、その第二期 Epoche II (1920-45) 後半はドイツ史未曾有の強権支配が行われた第三帝国の時代に相当し、この間このような威圧的デザインの流線型蒸機が多数製造された。
 それらの中には05型や61型のように何と時速175キロで急行を牽いたものもあり、その流線型は伊達では無かった。とりわけ61型を流麗なボディでくるんだ機関車と統一したデザインの流線型客車を組み合わせて帝都ベルリンとドレスデンを結んだヘンシェル・ヴェクマン列車 Henschel-Wegmann-Zug は、その銀・紫・ベージュというど派手な配色もあいまって、西のラインゴルト号と並ぶドイツの東西両横綱列車だった。これらの流線型はその当時世界最高水準の高速性能から空気抵抗低減という目的もあっただろうが、 140 キロ機に過ぎなかった DR03¹º 型等にまで同様の流線型ボディが奢られている。
 話は更に側線に入り戦間期の中国東北部に寄道する。南満州鉄道㈱は、ロシアの東清鉄道同様、「鉄道附属地」と称する広大 (超拡大解釈により、沿線駅の新市街の大半は附属地扱いだったという) な領域に排他的な行政権、裁判権、徴税 (「公費」と称した) 権、それに駐兵権まで有したというから事実上の巨大な帯状の租界だった。満鉄が国策会社と呼ばれる所以である。満鉄 (日本) は国威をかけて治外法権を獲得した附属地に上下水道 (当時の日本の下水道普及率は貧弱だった) や広大な並木道を擁する、日本にも存在しない西洋式都市計画を実施した。尚この附属地経営は「満州国」成立後は意味を失い、その5年後に満鉄はこれを終了している。
 表向きの本業である鉄道経営でも、朝鮮総督府鉄道との直通で日本の鉄道を上回るスペックの「ひかり」「のぞみ」等の急行列車を釜山・新京 (現長春) 間に走らせたが、日本の国威をかけて (これも日本でも存在しなかった) 全車冷房完備の特別急行あじあを1934年に大連・新京 (翌年ハルピンまで延長運転) 間に登場させた。日本では食事が煤煙で汚染されるのを防ぐ為漸く一部の特別急行列車の食堂車に冷房車が導入されたばかりの頃の話だ。このあじあ号の専用機パシナの威圧的な流線型意匠は、同時期のドイツ機の意匠と相通じるものがある。上の水色 (但し当時の着色写真では紺色塗色となっている) の機関車はパシナの模型だが、たかだか時速110-130キロ機にしては過剰など迫力である。
 保守作業が煩瑣な蒸気機関車に敢えて作業の邪魔になり高価な流線型ボディを被せたのは何故か。先のDR03¹º型や、更に性能の劣る満鉄パシナ型程度では空力特性は問題にならないので、その威圧的・先進的な意匠そのものの持つ政治的メッセージが重要だったと考えられる。Henschel-Wegmann-Zug 程度ではあきたらなかったヒトラーは、更に超広軌の怪物列車構想 11号ご参照 をぶち上げたが、この構想は独裁者の自殺と同時に、その必要性を失った。
 Epoche II 後半の高速機のもう一つの特色は国家社会主義党 ( Nationalsozialistische Partei、所謂ナチ) のシンボルである鉤十字 Hakenkreuz マークの掲出だ。イデオロギーの左右にかかわらず、特定のイデオロギーで国民を染めようとすると、鉄道を含むあらゆる媒体が総動員されるので方法論は類似し、イデオロギーのシンボルや支配者の肖像が街に林立する。ソ連崩壊前の共産圏の機関車も先頭に巨大な赤い星のマークを付けていた為、大きな駅や機関庫では提灯行列のように赤い星が並んでいた。ロシアに残るソ連時代の赤星付き機関車や、ソ連支配下にあった頃のウズベキスタンの赤星や共産主義のシンボル付 (下の写真はソ連時代に客車に取り付けられていたマークで、モスクワの蚤の市で10ドルで購入したものだ) の鉄道の写真についてはそれぞれ 9号 12号 を参照されたい。
 赤い星やCCCPマークは共産政権崩壊後自発的に撤去されただけの話でそれもややアバウトだが 9号ご参照、鉤十字マークの扱いの徹底ぶりは如何にもドイツらしい。博物館内に保存されている場合以外の全ての動態保存機の鉤十字部分はくり抜かれている。何と鉄道模型ですら、メーカーによってくりぬいたりあの逆卍模様を単なる「+」ないし「田」マークに置き換えたりしている。
 これは単なる自主規制ではない。反民主的違憲団体のシンボルを公の場で用いると、民主的法治国家危殆化罪として3年以下の自由刑又は罰金に処せられる (独刑法典86a条) のだ。「ハイル・ヒトラー!」のような反民主主義的違憲団体独特の挨拶方法 Grußformen を行うだけでも処罰の対象となる (同条2項)。更に、ホロコーストの存在を否定したり、被害者の数は実はもっと少なかったと主張する事も許されない。このように法律や契約で漏れなく網を張った状態を dicht (直訳すれば水も漏れない密閉状態) と形容するが、如何にも理論の徹底さを愛するドイツ人らしい表現だ。
 つまりその限度で言論の自由も学問の自由も制限されているのだ。事実、基本法 (憲法) には反民主主義的違憲団体には基本的人権を停止すると明定されている。当時最も民主的とされたワイマール体制下の広汎な自由を最大限利用して権力を簒奪したうえで民主主義を葬り去ったヒトラーの教訓から、ドイツは寛容さが民主主義の柔らかい脇腹である事を学び、ここに鎧を被せたのだ。

次々と銃殺が行われた「死の壁」。収容者達がパニックを
起こさないよう、窓には目隠しが施されている。
 民主主義を否定する者には人権を否定できる 「戦う民主主義 streitbare Demokratie」 と形容される、この毅然たる非寛容さが、戦後ドイツの民主主義の大きな特色を成している。その意味で、独刑法典の各論最初の章が、平和に対する罪・大逆罪と並んで 「民主的法治国家危殆化罪 Gefährdung des demokratischen Rechtsstaates」 という、日本では存在しない構成要件であるのは興味深い。
 半世紀昔の戦争犯罪を問う為に時効を停止し地球の裏側の南米に逃げ隠れていたよぼよぼの老人を逮捕して裁判にかける一事を見ても、民主制の鬼胎といわれるナチスに政権を取らせてしまった自らの過去に対する現代ドイツ人の慙愧の念は峻烈だ。これらのルールがどれだけ峻烈かは、同じ敗戦国である日本の例に引き直してみればすぐわかる。「南京大虐殺の被害者はもっと少なかった」と公の場で発言しただけで処罰される事になるのだから、何人の政治家がお縄になるかわからない。
 ドイツ勤務の頃、10人を超える同業者や裁判官と市民の自国の戦犯に対する日独の意識の落差に関して議論した事がある。仮にドイツの一般市民の戦没者墓地内にナチ戦犯の墓も作りそこに 「ドイツの為に死んだ全ての戦争犠牲者の為に」 としてドイツの政治家が参拝すれば、一般市民の英霊も一緒に埋葬されているからと如何に陳弁しても、また例え休日に自費で私人として参拝したとしても、外国から抗議されるよりも前に、忽ち自国民に糾弾され政治生命を失う、という点で皆意見は一致していた。公人か私人かというあの不毛の議論は、ドイツでは遂に聞かなかった事も付言しておく。
 ヒトラーは真に唾棄されるべき存在として扱われ、ごく一部のネオナチを針小棒大に取り上げた興味本位の報道に惑わされると大きな流れを見誤る。ドイツでとりわけ知識人と話す際、余程真剣な議論でなければナチスの話題は厳に避けるべきで、「我々は第二次大戦で共に戦った仲じゃないか」 式の挨拶に至っては最悪である。忽ち内心軽蔑され、少しでも日本の内情に詳しい者なら 「ははあ、ヤスクニシュライン問題の本質はこれだな」 と思われるのがオチだ。
 ドイツ人の国民性なのか、ナチス時代のドイツがやらかした国家犯罪も大規模で徹底していたが、責任追及や再発防止への執念もまた大規模で徹底している。ここでご紹介したように鉄道一つ例にとっても、ナチス時代はアーリア民族の偉大性・優越性を体現したデザインを徹底して求められ、戦後は一転、鉄道模型からすらナチズムの残滓は徹底して駆逐された。しかも刑罰の威嚇を以ってだ。グレーな処理を好み、ましてや個人責任の導入に躊躇しがちなわが国から見ると、最も国民性の差を感じる局面だ。

弾薬庫から改造したガス室と焼却炉の合造棟。ここでシャワーと称して
猛毒のチクロンBが頭上から大量に浴びせられそのまま焼却炉に運ばれた。
 ナチによる独裁、即ち民主的法治国家性 Rechtsstaatlichkeit の否定による壊滅的破滅を経験したドイツは、戦後は一貫して法治国家・法の支配の徹底に力を注ぎ、先に見たように民主主義を否定する団体にはその基本的人権すら否定する毅然とした峻烈さで有名だ。2007年のハイリゲンダム・サミットに際し、サミット史上初の法の支配 rule of law 、こちらは英米法的概念だが細かな差は措く ) の世界的普及と徹底を目的とした専門家会議が議長国ドイツの肝煎りでベルリンで開催され、ドイツ自らは最高裁判事を含む大チームを出席させる意気込みを見せたのは、この脈絡において良く理解できる。
 以下は全くの蛇足の観光ガイドだ。再びポーランドに話を戻し、同じくクラクフ郊外の ヴィエリチカ Wieliczka* の塩鉱山も簡単に紹介する。欧州では塩鉱山 Salzbergwerk が観光客に開放されている例が結構ある。ヒトラーの山荘もあった独墺が境を接する風光明媚な山岳地帯は有名で、坑道中に突然独墺国境が現れたりする他、地底定番のトロッコ列車以外の移動手段もあって結構面白い。
 地底湖を行くボートも悪くないが、移動手段としての長大な地下滑り台は乗物好きには外せないアイテムだ。磨き上げられた木製の幅広の二本の軌道上に座布団を敷いて数人ずつ団子になって滑降する。二条の軌道状の突起は速度が出るよう接触面積を減らす為の工夫と思われるが、かなりの距離を高速で下るので座布団を介しても摩擦熱で尻が熱くなる。
 ヴィエリチカには大滑り台も地底湖も無いが、地底にシャンデリアのある大空間や教会があったりと別の面白さがあり、 世界遺産* に登録されている。
 巨大な構造物を横目に木製の暗い階段を延々下って行く区間は、映画エイリアンの意匠を担当したH.R.ギーガー (墺) の、途方も無い壁に辛うじて貼り付いて深淵の闇に下っていく果てしない階段を描いたSchacht 坑道」 と題する絵*を連想させる。ちなみにこの Schacht シリーズはギーガーが幼少時自宅の地下室に通じる暗い階段に抱いた恐怖がモティーフになっているという。
 狭く薄暗い坑道を移動するトロッコで先頭に陣取ると、インディ・ジョーンズのような感覚を楽しめる。静態保存のようではあったが貴賓車まであったりする。

 
     
 
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資料は各脱稿日現在の該当会社・団体のHP、WikipediaWebsite über die schnellsten Züge der Welt 各所掲のデータを参照したもので、それ以上の検証は行っていない。
意見にわたる箇所は全て筆者の私見である。
   
 
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